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俺なりのサーキュラーエコノミー2025 第1章
取締役 渡辺 隆志
ツキを失った日
22024年4月、俺なりの“サーキュラーエコノミー元年”として発動してから、早1年半が経過した。
東京の猛烈な暑さも2度経験し、この日常は外気温と室内の寒暖差にやられるといったほうがいいだろう。
とはいえ、健康DNAを持ち合わせている俺は、そんなことで体調を崩すほど軟ではない。
どこにいても毎晩の酒を美味しくいただき、東京へ戻るときには、妻が持たせてくれるおかずを食しつつ、
毎朝、娘とのビデオ通話を欠かさず続け、健康的で充実した毎日を過ごしている。
そんな“どこでも適応型”の俺は、昨年の宣言通り、高みを目指して歩みを進め、時には走り、登り、猛暑とも戦ってきた。
そして今、10月1日から「富士ユナイトホールディングス」の執行役員CSOとして、新たなステージに立った。
CSO——Chief Strategy Officerの略であり、決してChief 酒飲み Officerの略ではないらしい。
日本語で言うところの“最高戦略責任者”。
会社における中・長期的な戦略的役割に焦点をあてたポジションであり、俺はその任務を遂行するのである。
自分は基本的に“ツキがある”と信じてきた。
どんな天候でも、欠航や遅延に巻き込まれることは滅多にない。
一方でもう一人の取締役は、毎度のように欠航や遅延に遭遇し、予定に間に合わせるために前日移動を余儀なくされるほどだ。
だが、その“不運”を、ついに引き継ぐことになる。
9月11日——富士興産の創立記念日を祝う日。
東京ドーム近くの手ぶらバーベキュー会場で、社員と盛大に集うはずが、直前の大雨と雷予報で中止。
オフィス内での懇親会に切り替えたものの、当日の帰宅時間帯には線路冠水や落雷による鉄道の混乱、羽田空港の離発着遅延が
重なり、まさに都市全体が麻痺していた。
翌日、いつもの時間に起床し、フライト前の習慣となっている発着情報を確認した俺は、目を疑った。
——俺が搭乗するはずだった便が、まさかの欠航。
いや、正確には「俺の便だけ」がピンポイントで欠航。
しかも、前日からの欠航便が翌日に振替られた影響で、朝6時の時点で他社便を含め全滅。
羽田→旭川、函館、釧路、帯広……検索をかけたが、どれも満席。
まさに“空の完全封鎖”状態である。
「詰んだ……」
俺は悟った。これは、某取締役の“飛行機不運”を正式に引き継いだのだと。
怒り心頭のまま6時前に「今日は戻れない」と連絡すると、返ってきたのは予想外の一言。
「じゃあ、新幹線で戻ってきたら?」
そうなのだ——この日は、グループ会社・富士ホームエナジーの創立20周年記念祝賀会。
俺と役員3名は、どうしても北海道へ向かわなければならなかった。
他の役員のフライトは無事だというのに、よりによって俺だけ欠航とは。
「まずはさ、東京駅に行ってみたら?」と、軽口を叩かれ、結局、素直な俺はその言葉に従うことにして、
妻が東京に戻る際に持たせてくれたおかずが空になったタッパーをカバンにしまい、悔し紛れに東京駅へ向かった。
そして、自宅からさほど遠くない東京駅に辿り着き、意気揚々と“みどりの窓口”に差しかかった瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、
早朝にも関わらず“とんでもない行列”だった。
本来、俺は行列が大嫌いだ。だが、その先に“北海道に戻れる扉”があると信じ、列に加わった。
受付窓口にたどり着くまで、ゆうに1時間を超え、ようやく職員と向き合い、札幌へ戻りたい旨を伝えると、職員は端末を操作しながら眉をひそめた。
「え?札幌ですか? うーん……いけないことはないんですがねぇ……」
端末をカタカタと操作する。しばしの沈黙…
「立ち席なら、なんとか……どうします?行きます?」
俺は食い気味に「行きます!」と即答した。
職員は少し目を丸くして、「わかりました」と言うと、チケット予約の端末を巧みに、しかしなぜか“1本指”で操作し始めた。
「ちなみに、新幹線降車後すぐの乗り換え特急も、新函館北斗駅から札幌駅まで立ち席になっちゃいますけど……。あ、でも2時間後の特急なら座れますよ」
俺はためらうことなく言い切った。
「すぐの便に乗り換えて、立ち席で行きます!」
「ええええっ⁉」と目を見開く職員。
それでも巧みに“1本指”でチケットを発券してくれた。
こうして、北海道新幹線が開通してから9年半。
今まで一度も乗車したことのなかった俺の“北海道新幹線デビュー”は、景色を堪能するどころか、立ったままの修行コースとして幕を開けたのである。
第2章へ続く(2025年10月22日公開予定)