環境開発工業株式会社 Create the Future

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コラム

数字の向こうにあったもの

     

 代表取締役社長 吉田 寿一

2022年秋。
富士興産が当社の全株式を取得。
当時の私は、監査等委員として当社に関わることとなった。
手元に届く月次報告書には整った数字が静かに並んでいた。
業績、推移、利益率――すべてが順調である。
だが、私はずっと感じていた。
そこに“何か”が足りないと・・
現場の空気も、社員の息づかいも、数字の中には映ってこない。
そして、この時期はコロナ禍で訪問は叶わず、ただ資料を読み解く日々が続く。
冷静な視点で見ることが私の役割ではあるが、心の奥にはひとつの想いが宿っていた。
「この会社の“本当の姿”を直接見てみたい」
そんな想いをもっていた半年後、初めてその地に降り立った。

視界に飛び込んだのは、整然とした構内。
舞う粉じんもなければ、鼻を突く臭いもない。
重機や設備の音だけが、整った空間の中に響いていた。

「これが産廃業なのか…」
言葉にならなかった。
それまで抱いていたイメージは、音もなく崩れていった。
そこには、徹底された5Sが確かに存在しており
数字では見えなかった景色が、静かに息づいていた。
私は、その後毎月その地を訪れるようになった。
現場を見て、社員と話し、空気を感じる・・
そのたびに、会社の鼓動が少しずつ自分の中に宿っていくのを感じていった。

だが――
その時の私は、まだ知らない。
この企業の未来を、自らの手で預かることになるとは。

そして、2025年6月
私は北海道の地にいた。
当社の7代目社長として。
さいたまで生まれ育ち、兵庫(西宮)、沖縄(那覇)、愛媛(松山)、宮城(仙台)、
神奈川(川崎)埼玉(さいたま)の日本各地で暮らし、働いてきた私にとっても
北海道は初めての地であった。
「北海道物産展は、どこで開いても人気らしい」
そんな言葉が、妙にしっくりきた。
その土地には、人の心をつかむ“何か”がある。
娘たちはすでに独立し、妻とともに移り住むつもりだった。
けれど、今回は単身での赴任となった。
それでも、足を止める理由にはならなかった。

この地に来て、2か月目が経過し、朝は車で30分弱の道のりを走る。
かつては1時間を超える電車通勤が日常だった私にとって、それは静かな贈り物である。
車内に流れる音楽と考える時間。
新たな日々が、ここから始まっている。

石油業一筋であった私にとってリサイクル業は初めてである。
わからないことは、現場に訊く。
赴任して早々に60名の社員と一人ひとり顔を合わせ、話を聞いた。
「初対面とは思えないほど、気さくだった」
それが最初の印象。
長くこの会社を支えてきた社員が多い。
20年、30年と積み上げた知識と経験がこの会社の屋台骨になっている。
誇れるものが、ここにはある。

2025年 夏。
爽やかな夏を期待していたが、今年は例年になく暑い夏が私を迎えてくれている。
けれど、その暑さの中に、
北広島の温度、社員の熱量、そして自分自身の使命感が混ざっているのかもしれない。
この熱を帯びていく気持ちを抱きながら、私は思う。
「この会社が築いてきたものを、守り、育て、次へと繋ぐ」
――かつて、監査等委員として眺めていた数字の向こうにあったもの。
それは、これまで積み重ねられてきた歴史と社員の熱量。
その熱量を今、私が引き継ぐ。
当然、迷いも遠慮もなく、これからの当社の未来を動かしていくために。