環境開発工業株式会社 Create the Future

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コラム

俺なりのサーキュラーエコノミー元年発動

取締役 渡辺 隆志

「来年から東京に来い!」
仕事の話を交えながら酒を酌み交わしている相手は、話の最中、つぶらながらも奥に潜む鋭い眼光を俺に向けながらこう放った。
「いやいや、ご冗談を‥」
「冗談は好きだが、これは冗談ではない。俺は真剣だ。お前は俺の盟友になる男だ」正直、痺れた‥
まるでプロポーズでもされているかのような心境になり、少し顔が赤らんだ。しかし、それでも酒の席での話である。きっと高揚していたに違いないと思いきや、本当に実行に移すのが冒頭の言葉を放った主、当社の大株主:富士興産(株)川崎社長なのだ。

社会に出て四半世紀はとうに過ぎ、銀行員を5年、当社に転職して23年が経過しているこの俺が異業種である石油業、しかも一昨年M&Aで富士興産の傘下になった会社の人間、所謂新参者にいったい何ができるのか?
でも、そこは俺だ。生まれながらの負けず嫌いと俺という人間のために差し出してもらったお膳を味わうこともなく眺めるだけでは性に合わない。高みを目指すのが俺の流儀で生き様だ。「よし、やってやろうじゃないか」と仕事の俺はすべてにおいてこの考え方で毎回歩みを止めずに進めるのだ。

だが、どうしても俺の歩みを止める唯一の難所がある。それは家族の存在、何より末っ子の娘の存在が大きい。この娘と離れて暮らすなんて考えてもみなかった。とにかくこの娘は父親である俺のことが大好きで、俺が唯一何でも言うことを聞いてしまうほど溺愛してやまないのだ。俺は25歳で結婚、翌年長男が生まれ、3つ離れて次男が誕生した。そこから9年空けて娘が生まれた。2人の息子は今の時代にそぐわないほど昭和風に子育てをしてきたが、初めての娘で間も空いていたこともあり、とにかく可愛くて仕方がない。別に息子が可愛くないわけではなく、可愛さが別次元なのだ。2人の息子も年の離れた妹ということもあり、うちの家族の男どもを翻弄するのだ。そんなうちの妻は呆れている‥

こんな俺が娘と離れて暮らすなんてできるわけがない。しかも一人暮らしもしたことがなく、家の事はすべて妻が支えてくれ、電子レンジの使い方もままならない。まさにド昭和、いや明治時代の亭主そのものなのだ。こんな俺を形成している一部を物理的にはがされてしまっては、仕事のパフォーマンスに影響が出るかもしれない。そんなことを考えてしまい中々決断出来ずにいたが、冒頭の主はとにかくせっかちなのだ。(悪口ではない‥)「いつ東京にくる?」と顔を見るたびに俺に問うのだ。いよいよ腹を括り、家族に言わなければ‥やはり一番の難所は娘の存在だ。ある晩、妻と晩酌をしながら相談をした。妻は俺の言うことを必ず肯定してくれるのはわかっていたが、辛い思いをさせてしまうと心が痛んだ。しかし妻は俺が進むべき道に理解を示し、応援をしてくれた。感謝してもしきれない。そして娘にどのように話をするか一緒に考えた。
12月、いよいよ娘に話をする時が来た。9歳(当時)の娘がすんなり納得するわけはない。当然泣かれ、「お父さんなんか嫌いだ!そんな会社辞めてしまえばいい!」とも言われ、俺の心はしょっぱい水に浸った。しかし、俺は娘にこう続けた‥「違うクラスのお友達が困っている、助けてほしいと言われたら、手を差し伸べたいと思わない? お父さんはそんな状況なんだよ。だからお父さんはそのお友達と一緒に頑張りたいと思っている。 応援してほしい‥」
娘は泣きながら「わかった」と自分に言い聞かせていた。その光景は今でも目に焼き付いて離れないがこれがこれからの原動力にもなるのだと自分にも言い聞かせた。

そしていよいよこの4月、俺なりの二拠点生活が始まった。富士興産では経営企画部に属し、当社では取締役を続投。月に2回~3回は東京と北海道を往復し、それぞれの任務をこなす。その任務は今まで以上に壮大で膨大ではあるが、俺の心はいつもワクワク感が溢れている。すべてが障壁もなく進めることはないが、不思議なことに壁が立ちはだかると、壁をぶち破るきっかけとなる方々の出会いや話題で一筋の光が差し込む瞬間が現れるのだ。まさにこれが縁とタイミング、そして俺に課せられた使命、まさに「あなたがやらずして誰がやる」なのだろう。

富士興産は石油業一筋、当社も産廃業一筋ではあるが、グループとなった企業同士の業態がコラボすることで、見えていなかった景色が出現。それらをきっかけに新たな景色に通じる道も出来、想像以上の景色が見られるかもしれないという期待も生まれた。
2024年~2026年、富士興産グループは中期経営計画を策定、6月には株主をはじめステークホルダーに公表する予定であり、その3年間は想像以上の景色を追い求める計画なのである。その景色にたどり着くには、高速道路もあれば山岳地帯のような簡単に通れない道もあるだろう。時には道ではなく、深い海の底から息継ぎもままならない状態で這い上がるしかない時が来るかもしれない。しかし、何もせずしてただ景色を眺めるだけで満足しないところが俺なのだ。その景色に巡り合うために五感を研ぎ澄ませ、あらゆる方向にアンテナを張って受信する。昨年同社の社長に就任した川崎社長が掲げる「環境のグリーン化対応とエネルギーの供給」を実践していく上では、我々が存在しないと成立しないとも自負している。

長年、当社の営業活動を通じて関わったお客様、特に取引の多い石油業のお客様や同業他社の方々は俺が富士興産にも属することを驚いてはいたが、皆さんが「あなたなら絶対やれる」「渡辺さんは必ず成功する」など大きな声援と期待をしてくれ「行ってこい」と背中を押してくれた。そして当社のメンバーも当初神妙な雰囲気ではあったが、別に完全移籍するわけでもなく出張が多いと思えばいいだけの話。今も週2回の各ミーティングにリモートで参加し、毎日出社している状況と変わらず情報共有と温度感を得ている。
(ちなみに東京では9時始業であるが、とあるLの付く取締役に「取締役に始業時間は関係ない。定例通り8時半から参加せよ」と俺は東京オフィスのリモート専用BOXに籠りながら、心の中で「これ、もうパワハラだと思うんだよねー」と坂上忍ばりに独り言ちるのだ。)

この二拠点生活が始まってまだ1か月に満たないが、ゴールデンウィークが終わると北海道とは違う気温の襲来に翻弄され、うんざりするのだろう。北海道にどっぷり漬かった俺の皮膚細胞や毛穴が東京の気温についていけるかとも思うが、近年の北海道もさほど変わらないほど気温が上昇している。まさにこれが地球温暖化なのだと認めざる得ない状況に来ている。いや、もう遅いのかもしれない‥
しかし、我々が生業としている環境事業こそがカーボンニュートラル時代を担っているものと、ここでも俺は自負をしている。

本年2024年は「サーキュラーエコノミー元年」と言われ、「線型経済」のリサイクルから「循環経済」のリサイクルを本格化させるべく、3月15日は閣議決定もなされた。特に製造側は廃棄物となるものをいかに製品づくりに組み込むかが急務なのだ。当然、我々の入荷量に影響が出ないわけではない。だが、ここで「時代だから仕方がない」と指をくわえているわけにはいかない。我々に出来ることは何なのか、むしろ我々だから出来ることがあるのだ。
かつて、学生当時に見たアニメのエヴァンゲリオンの登場人物が放っていたセリフの一例にも
「時計の針は元には戻らない。だが、自らの手で進める事はできる」 ~碇ゲンドウ~
「自分で考え、自分で決めろ。後悔のないようにな」 ~加持リョウジ~
「だからこそ現状を変えて後顧の憂いを断つ」 ~葛城ミサト~

数々の名言が存在し、(もっとたくさんあるが、これを語らせると延々に終わらないので割愛)俺を奮い立たせるのだ。そんな言葉の後押しと、娘が毎朝7時きっかりにかけてくるテレビ電話に向けてくる笑顔を活力に、公私にわたる俺なりのサーキュラーエコノミー元年は、発動したばかりなのである。