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北の里から…プロジェクトK(後編)~イロイロな顔をして現れた拾う神

取締役 佐々木 リサ

第一話はこちら「北の里から…プロジェクトK(前編)~IT革命の「風」を掴め!」

逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。しかしピンチが大きすぎると逃げることも忘れるのかもしれない。
何とかしなければ会社が沈む。そんな漆黒の日々が続き、蛸壺の中のタコのように皆で必死にもがき、浮上しようとできることをすべてやった。捨てる神あれば拾う神も存在してくれたことで何とか会社は持ち直した。が、OA事業は赤字が続き、他の事業の利益を消費してしまい、肩身の狭い日を送ること数年。そこに、唯一無二とも言われるこの工場とシステム、何より手解体リサイクルに共感してくださるお客様が遂に現れたのだ。

当時、そのお客様には北海道全域から排出される全量を任せている業者がすでに存在していた。そのことを知りながらも、知人を介してリサイクルのキーマンと言われる責任者の門をたたいた。当社の事業説明を聞いてはくださったものの30分ほどで帰された。ほぼ門前払い状態。朝一便の飛行機で上京してはみたものの、あえ無く撃沈・・猫背になりながら夕方の便で戻ってきたことを記憶している。猫背のまま過ごすこと10日・・・面会したキーマンから「是非御社の工場を見学したい」と連絡が入る。この連絡で丸まっていた私の猫背は、猫は猫でも一気にミーアキャットばりにピーンとなった。一筋の光を一気にこじ開けたい一心で、火炎放射器の如く、そのお客様に熱?いや炎を放った。取引に向けての条件は容易ではなく、あらゆる課題が提示され、そのたびに心が折れそうになる。「諦めたらそこで試合終了(By某有名漫画のA先生)」という言葉に背中を押されながら、取引開始に向けて這いつくばりながら歩を進める。門前払いから半年、ついに取引契約が締結され、いよいよ事業が回り始めた。この日の祝杯は格別であった。

竣工当初のOA工場

それも束の間、またまた問題が発生する。それは、それまでに取扱ったことのない物量のおよそ7倍の入荷量の襲来だ。取引前には聞いていたものの、実際目の当たりにするとオペレーションが想定以上に回らない。手解体でのリサイクルが取引の決め手であったが、対応するマンパワーが圧倒的に足りないのだ。パート社員募集や派遣社員で対応しても圧倒的に人手不足。社員総出で手作業したが、とてもではないがさばける気がしない。

OAリサイクルを担う全スタッフ

そんなところにまた神が降臨した。ちょうどその頃、障がい者自立支援という法律が公布されたのだった。この法律は、その名の通り、障がい者の自立を促進する趣旨で、施設側は障がい者が働ける環境を支援しながら彼らの自立を促し、その受け皿を企業が担うというものだった。チャンス!と思い、手解体を担うマンパワーとして彼らを受け入れた。ただし何も考えずに彼らを受け入れては問題も起こってしまう。彼らが過ごしたことのない、知らない大人たちがたくさんいるところでいきなり簡単に過ごせるわけではない。ましてや彼らの特性を理解していない私たちもどう彼らに接してよいかわかるはずもない。実は過去に数名を受け入れて失敗した経験もあった。そこで、自立支援に積極的な施設とタッグを組み、障がい者と日頃から接している指導員の方と一緒に5名1ユニットの編成で迎え入れた。実はこの迎え入れ手法はのちに彼らの自立支援にとても有効であったことが証明される。通常は企業側が一般スタッフ同様、障がい者に作業指導を行うのだが、私たちは彼らの指導に口も手も出さない。あくまで私たちの立ち位置は、彼らが心地よく就労できる環境を提供し、リサイクル業務を通じて自立支援に繋げてもらうということだ。そして最も重要なのは彼らが就労し続けられるよう、仕事を絶やさず提供し続けることなのだ。私たち企業側と彼らは同じ空間にいる仲間で上下関係も特にない。「おはよう」「お疲れさま」「元気?久しぶりだね」など、どちらからでもなく声をかけ合うような関係だ。そんな就労環境だからこそ気負わず着実に能力が開花していったのだと思う。

就労当初は、パソコン1台を解体するのに通常8分のところを指導員に教わりながらも3時間以上も費やす者、作業台に向きあうことができない等、一人一人の障がいの度合いによって様々な行動が見られた。しかし彼らの性格や特性を生かした、施設職員による根気強く地道な指導もあり、徐々に作業時間が短縮した。加えて単一品目しか扱えなかったところが、OA機器に限らず大型機器や遊技機類、トナーやオイルエレメントのリサイクルに従事できるまでに成長した。そしてもっとも彼らの尊敬すべきところであり、私たちでも頭の下がるところは帰属意識の高さに他ならないのだ。

ある時私はI君に「仕事楽しい?」と聞いた。すかさず食い気味に
「すごく楽しいよ!だってさ、やることたくさんあって忙しいから楽しい」
「??? そう・・・楽しくてよかったw」
「佐々木さんは、楽しくないの?」
「え?いや、楽しいよ」
「でしょ?忙しいってことは楽しいってことなんだよ」
・・・少しかみ合っていない会話だったため、指導員に彼と話した内容を聞いてもらった。
どうやら、ここに来るまでの彼らの毎日では、施設の中で淡々時間が過ぎていくだけで、達成感を得たことがなかったらしい。しかしここに来て色んな人との関わりや解体という作業を通じて、最後までやり切る、そしてまた次があるという、至ってシンプルな仕事のループを忙しいと感じ、それが楽しくて仕方がないと捉えるようになった。何より、自分がいないとダメなんだという自覚のもと、余程のことがない限り休まずに出社する。彼らを迎え入れてから約20年近くが経過するが、未だに80%以上のスタッフが就労し続けてくれている。指導員は、必要とされていることがなにより自立支援に繋がったのだと思うと語ってくれた。

手解体でのOA機器リサイクル現場

現在は、OA機器、消火器、トナー、オイルエレメントの4大リサイクル処理に総勢29名が戦力として従事している。
これが「環境と福祉の融合」のであり、彼らと一緒に今もこの事業が運営出来ているのは、このお客様との縁があったからに他ならない。

この事業を始めて4半世紀、一筋縄ではいかないほど色んな事があった。
オフィスでは、一人一台デスクトップPCが並んでいることが当たり前だった時代からノートPCやタブレット、スマホが普及する時代になった。ペーパーレス化も相まって、複写機設置数が減少し、コロナ渦をきっかけにテレワークも主流になりオフィスも縮小。当然OA機器の台数や重量も減少していることは言うまでもない。一体何波までやってくるの?と思うこともあるが、着手できていないリサイクルはまだあるのだ。当然企業運営の肝である採算性や持続可能性や法令遵守であるかなど、ここでも様々な課題を乗り越えていかなければならないが、「当社にしかできない」「当社だからできること」と壮大な妄想を繰り広げながら、運も味方に(ちなみに脳科学の中野信子先生の著書では「根拠のない自信」が大事なことらしい)「絶対いける」という言霊を吐きつつ、あらゆる縁を大事にしながら、この事業の次のステップへと歩みを進めている最中だ。それが公開される日は私の妄想上はそう遠くはなく、公開時にはそれに関わったあらゆる登場人物がその歩みについてたくさんの事を語ってくれるであろう。いや、語らせる。
それまでは、社員それぞれが執筆している他のコラムを見ながら少しだけお待ちいただきたい。