環境開発工業株式会社 Create the Future

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北の大地で歩を進める

代表取締役社長 伊藤 健二

ランニングを始めたのは7年前。とはいえストイックな類ではなく市民マラソンの10kmの部に数回参加していた程度だったが、ついうっかり今春は「Fビレッジハーフマラソン大会」に参加した。

北広島市に誕生した新球場を発着するマラソン大会である。市民として心がざわつかないはずがない。会社の定例会議で他の人にも参加を募ったが、心がざわついたのは私だけだったようで結局私一人でエントリーした。

大会は6月18日。初めてのハーフマラソンチャレンジである。多少の不安もあったが、社員から「社長、頑張ってください」という熱い声援ももらったので、完走を目指して朝9時半の号砲とともにスタートを切った。

天気は曇り、気温は約16℃、風はやや強めであったが、コンディションは申し分ない。1時間10km超のペースを順調に維持しつつ、Fビレッジからエルフィンロードへ。しかし凄い数の参加者だ。そこからJR上野幌駅のあたりまで走行して折り返すという道程。走りながら、ここまでの道のりが頭に浮かんできた。

去年の今頃、自分がここ北海道の地で社長業をしているなんて想像していなかった。

「伊藤君には、その会社の社長をやってもらいたいと思う。」

富士興産の社長にそう言われたのは7月下旬のことで、それが今に至る全ての始まりだ。出張中の車内で携帯電話に告げられた、驚愕の打診。隣で車を運転している部下がいる手前、気取られぬよう終始曖昧なリアクションをしていた。

その数日後。富士興産社長は、わざわざ札幌に来道し、ホテルの一室で私と面談した。環境開発工業がグループの一員になるかもしれないという説明と、直接異動&就任の打診を受けた訳だが、まだこの時環境開発工業が本当にグループの一員になるかは分からない状態で心がざわつくだけ。「そもそも何で私なんですか?」との私の問いに、満足できる回答はなかった。

9月の半ばも過ぎたころ「対外発表は9月27日になったので、正式辞令もそのタイミングになる」とのお達しがあった。これではお取引先に異動の挨拶回りもろくに出来ないなぁとか、当時の同僚達にも何も言えなくて申し訳ないなぁとか、てか俺は一体全体どうなっちゃうんだろう的な漠然とした不安がこの身を覆った。それから、10月を迎えるまではジェットコースターのような日々だった。10月1日(土)に環境開発工業の新年度方針発表会にオブザーバーとして招待され、社員の皆と初めてコンタクトした。発表会の雰囲気には終始圧倒されていた。勢いがあるなぁ、熱量高いなぁ、型にはまってないけど毅然とした雰囲気がある会社だな、という第一印象をもった。

そして社長就任の日。これまでの人生で緊張MAXの中、社員の前での就任あいさつでは話そうとしていたことが全て飛び、頭が真っ白になった。そして2回も噛んだ。社員の皆はジッと私を凝視したまま、身じろぎもしていなかった。勢いがあり熱量が高く型にはまっていないけど毅然とした雰囲気がある会社。やっていけるのか。でもやるしかない。

就任してまもなく1年が経つ。最初の半年の記憶はあまりない。会社を早く理解すること、社員一人一人と早く打ち解けること、そして富士興産グループとの融和・連携を強化していくことだけを意識していた。

今までの人生で社長業など意識したことはなく、去年の今頃はまだ社長になるなんてこれっぽっちも思っていなかった。まだまだ経営者としては前座レベル。それでも環境開発工業は面白い、産業廃棄物業界は面白い、奥が深いと感じている。世の中から不要と言われるモノを、お金をいただいて回収し、可能な限りリサイクルして、そのモノに新たな価値を付け加えるなんて、こんな痛快なことがあるだろうか。前職では、ただ消費するモノ、しかも化石燃料と呼ばれるモノを世の中に売ってきた。後先を殆ど考えることなく。でもこの会社は、消費され、不要となったモノの後に新たな道筋を与えるかのように存在している。

そう感じるのも、「身体が痛い」と言いながらも会社を支えてくれる社員達を筆頭に、「環境さんのおかげで本当に助かっている」と言ってくれる御取引先や様々なコミュニティがあるからだ。

そろそろ社長として2年目に突入する。1年を振り返ると、社長としてはまだまだ決定的に何かが足りない。昨日も今日も、そして多分明日も暗中模索の日々だ。「足りていない」という自覚を胸に、この仕事に情熱を傾け、そして経験と学習を積み重ねることしか私にはできないが、一歩ずつ前に進もうと思う。最近分かってきたのは、経営者に必要なのは、好感ではなく、信頼であるということ、だろうか。好感は人柄や相性で生まれるが、信頼は人柄に好感が持てなくても、その人の仕事ぶりや真摯さから生まれるのではないかと考えている。昨年逝去し、生前家族には多くを語らなかった、田舎の零細企業の経営者だった父の仕事に対する真摯な姿に重ねたりして(決して人柄は悪くなかったと思うが・・・)。

そんなことを考えていたらハーフマラソンも残りあと5kmを切った。急速に足が重くなり幾分ペースダウンするも、明日の会社の定例会議で何を話そうかとか完走できなかったら社員イジられるだろうなぁとか考え、自分を叱咤。そしてゴール後のエスコンフィールドで飲むクラフトビールを想像して、歩を前に進め、ゴールゲートに到着。タイムは2時間7分ちょい。さして注目もされていない中、社長としての面目を保てたと一人勝手に安堵。

着替えて、1杯800円のクラフトビールを飲みながら、明日の会議では、「努力は決して裏切らない」等と余計なことは言わずに、さらっと「無事完走したよ」と報告しようと胸に誓った。1年前、富士興産社長に問うた「そもそも何で私なんですか?」という問いの答えは、自分の足で探さなくてはならない。